なぜ毎年、松陰神社詣でをするのか?吉田松陰先生のどこに呼応したのか?

なぜ毎年、松陰神社詣でをするのか?吉田松陰先生のどこに呼応したのか?

先日、ある方に問われました。私のブログを見てくださって、そのモチベーションがどこから来るのか、驚かれたようです。猛烈に多用にしておられること衆目の一致するところであるその方が、ブログを見てくれたことに、私の方がびっくりし、絶句して曖昧に笑ってごまかしてしまいました。

確かに、私が毎年詣でるという行為は書きましたが、その理由はさらっと端っこに触れただけでした。日頃、顧客企業の社長さん達には、思考をきちんと伝えましょう、と話してきたにもかかわらず、です。自らが範となって、皆を引っ張るということが如何に難しいことか、また知らされました。こうした「できないこと」をたまに思い出させてもらえ、振り返る契機になるので、人と会い交わることは楽しい、と思います。あんまりにもできないことが多いので、意気消沈してしまうこともあるので程度問題ではありますが。

さて、本題に戻ります。

松陰先生には、私にないものがあるからです。残念ながら。知性や決断力や、とにかく多くの力や能力が別次元ですが・・と片付けてしまうのはずるいと思うので・・・とりわけ注視したいのが「覚悟」。覚悟はどんな人であっても、平等に持ち得るものだと思うから。にもかかわらず、松陰先生は自らの命よりも覚悟を重く置き、そのことに迷いも逡巡もなく直進する。そもそも命と比較すらせず、ただ直視して真っすぐに突き進むのですから。